明日香野ってどんな会社?

第1回目『明日香野ってどんな会社?

現在、日本で就職を考え活動しているベトナムの方に向けて、『明日香食品株式会社(以下明日香野)について紹介をしていこうと思います。 

明日香野は、1975年に日本の大阪府枚方市にて創業した会社で、日本人に馴染み深いあんこ餅やわらび餅といった和菓子を生産しています。

簡単に明日香野の商品がどのようなものか説明すると、ベトナムの方にお伝えするなら「バインザイ」を想像していただくとわかりやすいと思います。あんこ餅をはじめとした明日香野の商品は日本版バインザイを使ったお菓子と思ってください。

※詳しい商品説明は次回以降の記事で行わせていただきますので、お楽しみに!
 
明日香野40年以上にわたる確かな技術で、餅を使った和菓子を作り続けており、本社のある大阪の八尾市を中心に、西日本、東日本で異なる商品を展開しています。
そんな明日香野には、日本人スタッフだけではなくベトナム人スタッフ(現在46名)も在籍しています。国籍問わずに人材を雇用しており、パートではなく正社員として働いている方もいらっしゃいます。
 
次回以降はそんな明日香野の和菓子とはどのような商品なのか、どのように作られているのか、ベトナム人スタッフがどんな作業をしているのか……などなどご紹介していきます。  

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4月 | 春のお花見

4月になり暖かくなりました。

絶好のお花見シーズンということで、今回はお花見のお話を色々調べてみました。

お花見の歴史

お花見の風習が始まったのは、奈良時代といわれています。
ただし、当時は貴族たちだけが楽しむ行事で、鑑賞対象となっていたのは中国から伝わってきた梅の花だったようです。「万葉集」にも、桜より梅を詠んだ歌の方が多く出てきています。
平安時代以降、貴族の間では桜のお花見が取り入れられるようになりました。江戸時代になると「暴れん坊将軍」でお馴染みの徳川八代将軍・徳川吉宗により桜のお花見をする習慣が庶民にも広まっていきました。

桜の名所をつくったのも吉宗で、桜の名所として知られる隅田川上流の土手沿いや品川の御殿山、飛鳥山の桜などを、整備したといわれています。

その後、桜の木が増えたことにより問題になったのが桜の木の落葉です。「大量の落葉をどう処分したらよいか」江戸向島にある長命寺の門番だった山本新六はこの落葉を利用して、1717年に桜の葉を使った甘味を売り出しました。

明日香野でも人気商品となっている桜餅の誕生です。

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お花見の主役、桜

現在、お花見で主流になっている桜の品種は、ソメイヨシノです。実はこの桜、野生の植物ではなく、人の手で生み出された品種なのです。

ソメイヨシノエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれた雑種です。江戸時代末期に染井村(現在の豊島区)から栽培品種として売り出されました。当初は奈良県の桜の名所・吉野にちなんでヨシノザクラと命名されましたが、ヤマザクラと混同されることを避けるために、染井村の名を取り、「ソメイヨシノ染井吉野)」となったのです。

このソメイヨシノは成長が早く、咲き初めには葉が出ないで大きな淡紅色の花を楽しめることから、お花見用の花としては最適でした。

明治時代に入ると、瞬く間に全国にソメイヨシノの桜が接ぎ木を主流として広がっていったようです。

 

お花見でやってはいけないこと

大勢の人が集まりお花を観賞しながら、お食事やお酒をともに楽しむお花見ですが、お花見にはさまざまな作法やマナーがあります。

例えば桜の木に対する配慮です。咲いている花を摘んだり枝を折ったりする行為は故意ではなくてもお花を大事にする点でしないように気をつけましょう。小さなお子様と一緒にお花見をする際はそういうことが起きないようにきちんと注意してあげるとよいかもしれません。

また、場所取りに関しては必要最低限の範囲で行い、お花見中はあまり大きな声で騒がないようにしましょう。お花見という行事で楽しいのはいいことなのですが、公共の場として周囲の方に気を遣うのも大切です。

 

お花見が終わった後は、しっかりと後片付けをして帰りましょう。すべての人が清々しい気持ちでお花見を楽しめるよう、私たちひとりひとりがマナーを意識しておきたいですね。

 

次回の更新をお楽しみに。

 

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いつでも明日香野 | ドヴァーラヴァティー遺跡②

明日香野がお届けする #いつでも明日香野。

ブログでしか読めない社長此下のお話をお届けいたします。

第3回は前回に続きタイ"ドヴァーラヴァティー遺跡"のお話です。

 
タイの土地に初めてできた広域国家と言われるドヴァーラヴァティー王国の環濠集落遺跡。タイ族が現在のタイの領域に入る前の古い時代。当時はタイ族ではなく、モン族がこの地域で文化を花開かせていました。

「現在のタイの領域で最初に現れた大国は、ドゥヴァーラヴァティーであったとされている。この国は七 ~十一世紀にかけてタイ中部を中心に栄えたモン族の国家であり、その中心はバンコクの西50キロに位置するナコーンパトムであったとの説が一般的である。」

—『物語 タイの歴史 微笑みの国の真実 (中公新書)』柿崎一郎著

とされており、同著では

「ドゥヴァーラヴァティー様式の美術品はタイの領域内の各地から発見されており、政治権力の浸透する範囲を示すものではないかもしれないものの、少なくともその文化的影響力が大きかったことを示している。ドゥヴァーラヴァティーの環濠集落は、楕円形の環濠が特徴的であり、タイの中部から東北部にかけて広く分布している。この国はかなり広い領域に影響を与えたものと考えられて」とされている。

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この環濠集落、それもドゥヴァーラヴァティー王国の首都であったナコンパトム近くにあったこの環濠集落は立派なもので、周囲は3kmにおよび、その周りに深い堀を掘り、おそらくはその掘った土を内側に「掻き上げて」土塁を守りとしている。これは世界的にもみられる形式ではあるし、日本でも縄文後期から戦国期の広範囲な時期にかけてこの形式がみられる。大いなるものは吉野ヶ里遺跡や中世堺がこれに当たるのかと思う。明日香野本社のある大阪府八尾市の久宝寺寺内町などもその例だ。

環濠集落は大抵は戦乱の時代に、村々や町が自衛のために作ったというのが定説だと思うけれど、タイもこの時代の支配者モン族やその他の民族、集落間で争いが絶えない時代であったのか、など想像しているだけでも楽しい。

実際その場所に立ち、周りをぐるりとランニングした。すっかり木々や下草に覆われた土塁は全面が落ち葉に覆われていて、ランニングしていてカサカサと音が自分の足元から聞こえてくる。土塁内側の周回道路はそれなりに整備されていて、気分良くランニングできる感じなのだが、トレイルランナーとしては土塁を登ったり降りたりしながら走ってみる。地元の人々の便利に土塁には四箇所の崩された場所と、数多くのオートバイが駆け上がって降りていくめの轍がある。土塁の外側の環濠は7割くらいは水が残っていて、水面は明るいグリーンの浮き草にびっしり覆われていた。残りの3割は埋まってしまっており、(日本の古城を思い浮かべていただけると嬉しい)その部分は大いに低灌木の林となっていた。

f:id:asukano:20210310201244j:plainモン族の村であったろうこの環濠集落は今やボーイスカウトのキャンプ場になっている。敷地の中に、いまも池が水をたたえている。そこで兄弟3人が魚を網で捕まえようと腰まで浸かっていた。仲の良さそうな3人は時に真剣な、時に笑顔で助け合い、じゃれあいながら網をうつ。こんな風景が2000年も繰り返してきていたのかと思うと人類の悠久の歴史を感じざるを得ない。彼らの話す言葉はタイ語の方言よりさらに訛りがあり、もしかしてモン族の末裔としてこの場所を守りつつ魚取りしているのかと思うと、浪漫でもあり、茫洋たる気持ちが掻き立てられた。

3月になり、今年も暑くなりはじめのこの季節、花の季節のタイの中、すっかり汗びっしょりで走る。この日、頭上には青空が大いに広がっていた。さあこれから暑季が始まる。

補給食 明日香野3色柏餅・白柏餅(こしあんよもぎ柏餅(つぶあん・天然よもぎ色香味)味噌柏餅(味噌餡)
ウェア Luc+
シューズ North Face Vectiv Enduris
バックパック Zoma

—『物語 タイの歴史 微笑みの国の真実 (中公新書)』柿崎一郎著 https://a.co/00n0PEq

#明日香野 社長このした 2020年3月

#mon #モン族 #ドヴァーラヴァティー #Dvaravati #ナコンパトム #nakhonprathom #Zoma #ルクタス
@yamarokko @luc_tus @thenorthfacejp

 

次回の更新をお楽しみに。

 

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いつでも明日香野 | ドヴァーラヴァティー遺跡①

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第2回タイ"ドヴァーラヴァティー遺跡"のお話です。

 

タイにも鳥居がある?

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タイにも鳥居がある。日本とタイの共通点を感じる場所だ。それも一番有名なものは首都バンコクの旧市街に王宮、寺院などが集まっている地域の通りの真ん中にそびえ立っている。もともとそこにあるWat Suthatの一施設であった。タイ語ではサオチンチャー(Sao Chingcha)と呼ばれ、200年続く現在のラタナコシーン王朝第一代ラマ1世が建設したものだ。もともと、首都をバンコクの真ん中を西岸から東岸に移設した時に都の中心として建設されたらしい。ちょうど18世紀から19世紀に時代が移る時期、日本では明治時代であった

(タイ観光庁 https://www.tourismthailand.org/Attraction/sao-chingcha)

なんと21.15Mもの高さの真っ赤な大鳥居で、タイのプレー県から切り出されたチーク材でできているそうである。日本の3大木造鳥居といえば、氣比神宮・大鳥居(福井県敦賀市)、春日大社・一之鳥居(奈良県奈良市)、厳島神社・大鳥居(広島県廿日市市)なのだが最大の厳島神社の大鳥居が16M。それよりも5M、ビルの2階くらいは高いわけだから巨大なものだ。

毎年旧正月、この鳥居には板状の乗り物をつなげこれに僧侶が乗り、この乗り物が地面と水平までスィングさせていたらしい。ちょうど子供用のブランコを、果てしなく巨大にしてもらったものだと思うと良いかもしれない。あまりにも危険で、死者も出たらしく1930年代までで廃止されてしまった祭りだ。この祭り、上記タイ観光庁ではバラモン教(インドの古代宗教・現在のヒンドゥー教の源流)の祭祀とされている。実際東南アジアは紀元前後からバラモン教が伝わり、4世紀ごろにはほぼバラモン教文化になっていた。タイもその例外ではない。ベトナム中部チャンパー王国、カンボジア世界遺産アンコールワットのアンコール朝、タイのモン族王朝のドヴァーラバディー王国などが有名だ。だとすると、この鳥居も日本のものと関係ないインド系文化なのだろうか。

 

僕には別の想像がある。この鳥居文化、バラモン教ではなく、日本でもタイでも共通の「木にも、岩にも、川にも」神様が宿っているという、僕たち日本人にも深く根ざしたアニミズム由来ではないかという想像だ。この想像、本当に若い頃からなぜか僕の中に宿っていて、タイに20年以上関わった今では確信に変わっている。僕はいつも日本の文化はどこか根っこが東南アジア・タイにつながっているように感じている。タイ人も日本人と同じく、万物に神が宿る「八百万の神」を感じて生きている民族が集まった国だと思っている。タイの諸民族は日本人と同じ感覚を共有する仲間なのだ。

2009年5月初頭僕は、タイからラオスを通って中国雲南省、中国雲南省からラオスを通ってタイへ帰る車の旅に出た。その終わりに近づいたラオスの山の中、メインの道路から外れて山の中に分け入った。アカ族と言われる山岳民族の古い村がそこにあると聞いたからだ。陸稲と森の恵みで生きる人々だ。ひたすらに暑いその日、山道を村に向かって歩いて登っていく。汗が吹き出す。森の中を貫く山道の途中で、素朴な木材の柱と梁そして、枝葉で飾られた門に出会った。「パトォー・ピー(精霊の門)おそらくは村の境界、それもスピリチュアルな意味で「人」の住む世界としての村を、精霊の住む世界としての森と分けている門なのではないかと思う。その姿は、素木を「掘っ建て」ただけの簡素なものだが、まさに「鳥居」だ(写真②)  この「鳥居」村への道からのトレイルにも、村の奥の森に抜ける道にも鎮座している(写真③)  思えば、奥の村の先には、アカ族信仰の森が広がっているのだが、日本古式の神社が山を御神体とし、おそらくは素朴な鳥居と何もない空間をその山の麓に設けただけであった姿に似ているのではないか。ただ、人間の世界が大きく神の世界が小さい中世以降の日本と、未だ神の世界が広大であるアカ族の世界では囲まれているものが神の世界か、人の世界かの違いがあるのかもしれない。

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2020年10月。タイ最高峰ドイインタノンにトレイルランニングの練習に出かけた僕は、そこでも鳥居に出会った(写真④) すっかり観光化された山の中の田の中にそれは飾りとして置かれていた。これもこの地域のカレン族の文化だ。彼らのお米は日本のお米に似ていると、地元の人は言う。祝日にはお餅も食べるそうだ。

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鳥居はこのように、タイ族・アカ族・カレン族というタイの多様な民族と私たち日本人に共通する文化らしい。これは日本から中国雲南省・東南アジアに広がるいわゆる「照葉樹林文化*」と呼ばれる古文化由来だというロマンだとも言える。今はあまり主流派ではないかもしれないが、僕が大学で学んでいた頃には十分に影響力のあった仮説だ。僕たちとタイの諸民族が、根っこの根っこで共通の文化が繋がっているのではないかと想像すると、僕は心が暖かくなるのを感じる。ちなみに、「もののけ姫」や「となりのトトロ」には照葉樹林文化論が大きな影響を与えていると言われている。みなさんも、宮崎駿という偉大なクリエーターを通じてその心に触れているのかもしれない。

そんなタイの大鳥居の前で、こし自慢の明日香野あんこもち。そういえば、お米文化もお餅文化も日本とタイは共通だなあ。

#鳥居 #アカ族 #モン族 #タイ #カレン族 #ラオス #照葉樹林文化 #Akha #Mong #Karen #Thai #laos #明日香野 社長このした 2020年3月

照葉樹林文化論(しょうようじゅりんぶんかろん)とは、1970年代以降の日本の文化人類学において一定の影響力を持った学説である。具体的には、日本の生活文化の基盤をなすいくつかの要素が中国雲南省を中心とする東亜半月弧に集中しており、この一帯から長江流域・台湾を経て日本の南西部につづく照葉樹林地域に共通する文化の要素は共通の起源地から伝播したものではないかという仮説である。(WIkiPedia)

次回の更新をお楽しみに。

 

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3月 | 春のお彼岸

明日香野は「ちょっと食べる」喜びを毎日お届けしています。

今回はお彼岸のお話を色々調べてみました。

お彼岸の日にすべきこと

お彼岸は毎年、春と秋にあります。

2021年度の春のお彼岸は3月17日~3月23日です。

春のお彼岸は春分の日を中心に決められます。今年の春分の日は3月20日なので、その前後の3日間がお彼岸の期間ということになります。

お彼岸期間中にしなければいけないと聞いてすぐに思いつくのはお墓参りではないでしょうか。

普段、忙しくてお墓参りができなくても、お盆とお彼岸の期間にはお墓参りをするという方も多いでしょう。お彼岸でお参りをする際は春分の日秋分の日がふさわしいと言われていますが、日にちは自由が効くようです。

大事なのは訪問する日ではなくご先祖様を敬う心ですので、お墓参りをする際には、お墓をきれいに掃除して、ご家族と一緒にお花やお線香や生前の好物だった和菓子を供えて、心を込めてお参りしましょう。

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お彼岸の由来

お彼岸の語源は古代インドのサンスクリット語、「パーラミター(波羅蜜)」から来ていると言われています。

「パーラミター(波羅蜜)」は仏教用語で、「パーラム(彼岸)」「イタ(至る)」の2つの意味を持つので、日本では「到彼岸(とうひがん)」と訳されました。

仏教では、人々が生きている煩悩が満ちている世界を「此岸(しがん)」と呼びます。

対して、煩悩を克服して悟りの境地に達した者が向かう世界が「彼岸(ひがん)」です。

「此岸」と「彼岸」の間には川が流れています。これが有名な「三途の川(さんずのかわ)」で、生と死の世界を隔てています。

自分たちが生きている此岸の世界とご先祖さまがいらっしゃる彼岸の世界が繋がり、ご先祖さまが此岸に返ってくる日、それがお彼岸なのです。

 

お彼岸の期間にやってはいけないこと

お彼岸の期間にやってはいけないことと聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?

引っ越しや車の納車などの大きな行事、新たな家族を迎え入れる結婚式などが思い浮かぶかもしれません。

しかし、お彼岸の期間にやってはいけないことは実はないのです。

お彼岸の時期に結婚式をすると縁起が悪いと思われがちですが、仏教上は結婚式を挙げても問題ありませんし、縁起が悪くもありません。

ですが、お彼岸はご先祖様をお迎えする期間としての性質上、お祝い事は気がひけるという方も多いので、できればお彼岸中の結婚式は、避けたほうがよろしいでしょう。

むしろお墓参りの時にやってはいけないことが存在します。

例えば、お墓にお酒をかける、お供え物をお墓に残したまま帰るなどがあります。

これらはご先祖様のお墓を綺麗に保つことの目的からよくないこととされています。

ちなみにお供え物については自分たちで食べてしまって問題ないので、お墓参りの後に美味しく味わうことにしましょう!

 

次回の更新をお楽しみに。

 

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いつでも明日香野 | ワットシーチュム(Wat Si Chum 菩提樹寺院)

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第1回タイ"ワットシーチュム(Wat Si Chum 菩提樹寺院)"のお話です。

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タイ族初の王朝とも言われるスコータイ王朝。その首都であったスコータイ遺跡にその寺院は位置している。15.6Mのアチャナ仏は座っている。アチャナというのは不動という意味で、この仏は「降魔仏」だ。おそらく、釈尊が悟りを開くに際し、悪魔がこれを邪魔しにかかるのだが、それをブッダが見事退けて悟りを開いたという時の姿を表した仏像だということだろう。「印」である触地印を結び、指先が大地に触れている。この指によって大地から神が出現して悪魔を退けたのだという。僕の大好きな手塚治虫の「ブッダ」でいうと第三部第13章「ヤタラの物語」から第四部第1章「剣士と風来坊」に当たる部分だ。

この「ヤタラの物語」でのお話はかなり手塚治虫の創作になっている。そこには奴隷身分から最強の戦士になったヤタラ、仏陀の故郷を滅ぼしたマガダ国の王子ルリ王子が登場する。実はこのルリ王子はインド最強の国家マガダ国の王子だ。実は、ブッダの一族が嘘を言ってマガダ国王に嫁がせた奴隷身分の女性の子供であったという設定になっている。奴隷身分として虐げられていたヤタラ、王子として育ちながら実は奴隷の子であったことを知るルリ王子。その2人の身分制度や正と死、病の苦しみが描かれる。ブッダ菩提樹の下で瞑想に入っている。ヤタラが瞑想中のブッダの前に現れ、彼にブッダが教え諭す内容が、ブッダ自身の悟りそのものになるという部分だ。

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ブッダは言う「木や草や山や川がそこにあるように、人間もこの自然の中にあるからにはちゃんと意味があって生きているのだ。あらゆるものとつながりを持って。お前は、そのつながりの中で大切な役目をしているのだよ」と当時の身分制度の最底辺に生まれたヤタラに生きる意義を説く。この前後に描かれる様々な苦しみがまさに当時のブッダを覆う悪魔であり、ここに手塚治虫ブッダの教えの最も重要なことを集約したいと思ったのだと思う。

当時のインドは強い身分制度を柱とするヴァラモン教(現在のヒンドゥー教の大本)の世界であった。その中で強烈な平等主義を述べるブッダの光は神々しい。そして、古代東南アジアのヴァラモン教世界・アンコールワットを作ったクメール人の支配を覆して大王国に発展したスコータイ王朝にとっても、仏教の持つ輝きがキラキラしていたのではないかと想像できる。この寺は14世紀末、日本で言えば南北朝のころに創建されている。実は、スコータイ王朝は「大マンダラ」の地位を失って、新しい「大マンダラ」であるアユタヤ朝に服属することになった時期となっている。斜陽の王国が建設したこの寺院が現代の私たちを惹きつけてやまない。

そんな文脈の中、建造されたワットシーチュム(菩提樹寺)と、降魔仏。今も多くの人々がお参りに来る。日本から運んだ桜餅と柏餅を捧げながら祈った。

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3月 | ひな祭りのお話

明日香野の「ちょっと食べる」喜びで四季を感じてみませんか?

今回は桜もちがピッタリの春の行事"ひな祭り"に関するお話を

色々調べてみました。

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ひな祭りの由来

ひな祭りは女の子の行事として親しまれていますね。

ひな祭りの元となったのは平安時代にあった女児が草木や藁で作った人形で遊ぶ「ひいな遊び」と言われています。

中国から3月3日に河で身体を清め禊ぎを行う上巳の節句が伝わってくると、人形に自分の災厄を移して河に流す「流し雛」という風習に発展します。

江戸時代になると、これまで行われていた流し雛に変わり雛人形を飾る風習が全国に広がっていきます。

雛人形には流し雛の時と同様に、厄災を人に変わって引き受ける役割を持つようになり、ひな祭りは女の子の健康と成長を願う行事になりました。

 

ひな人形の紹介 

ひな祭りの主役となるひな人形ですが、「お内裏様とお雛様♪」と童謡でもあることから、男雛がお内裏様、女雛がお雛様と勘違いしている方も多いのではないでしょうか。

実はお内裏様とは、男雛と女雛の一対を指す言葉で、2体合わせて内裏雛と呼ぶそうです。(私も勘違いしていました…)

ひな人形は東西でも種類が違い、京都で作られるひな人形を京雛といい、関東で作られるひな人形を関東雛といいます。

京雛は向かって左側に男雛、右側に女雛が座ります。関東雛はその逆です。

どうしてこうなっているのかというと、かつての京の宮廷では左側の方が右側より上位とされていましたので、京雛では帝である男雛が左側に座るようになりました。

関東雛は現代の国政儀礼である西洋のマナー(右上位)にあわせて、帝である男雛が左側に座るようになりました。

桃の節句の由来

ひな祭りは桃の節句である3月3日に行われますね。

桃の節句は正しくは上巳(じょうし)の節句といい、五節句の一つで3月の初めの巳の日という意味です。

上巳の節句は西暦300年ごろの中国三国時代の魏によって誕生し、元々は当時の貴族が無病息災を願う厄払いの行事だったのです。

日本で上巳の節句平安時代からあり、桃の季節であり、桃には魔除けの力があると考えられていたとこから、桃の節句と呼ばれるようになりました。

知っておきたいひな祭りのマナー

 ひな祭りは古くから続く伝統行事ですので、きちんと守らなくてはいけないマナーがあります。例えばひな人形を節句の前日にあわてて飾るやり方です。これは一夜飾りと言って縁起がよくない飾り方とされています。

ひな人形は子どもを見守り、厄災を防いでくれる存在なので、できるだけ長く飾ってあげましょう。

次女が生まれた場合、もう1つ新しいひな人形を用意してあげるのがマナーとされています。

なぜかというと、ひな人形は本来、子どもの厄災の身代わりとなる人形(ひとがた)だからです。長女のために用意したひな人形は長女の厄災を引き受ける人形なので、次女も一緒に守ってもらうという願い方は間違いなのです。

しかし飾るスペースや予算などで現実的には難しい場合は、市松人形など次女の守り神となるような人形を新たに用意して長女のひな人形と一緒に飾ってもいいでしょう。

 

ひな人形の飾る時期、しまう時期

ひな人形を飾る時期は、立春(2月4日ごろ)から2月中旬にかけて飾るのがよいとされています。 節分で豆まきをした後に飾るという認識でいると間違いがないでしょう。

桃の節句は春の節句なので、春の気配が立ち始める日である立春に飾るとひな人形と共に春の訪れを感じられます。

どんなに遅れても、ひな祭りの一週間前までには飾り付けを済ませたいところです。

また、ひな人形を片付ける時期ですが、3月3日のひな祭りが過ぎると片付けるというのが一般的となっています。 しかし、旧暦の4月3日まで続けて飾っておく地域もあります。

大体目安として、3月中旬を目安に片付けを済ませるといいかと思います。

では次回の記事更新をお待ちください。

 

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